今回の小生の手記は「地上の楽園ニュージーランド」です。

回の小生のコラムを読んだ読者の方から地上の楽園とはどんな所か?というお尋ねがありました。
今から十何年か前に天国に一番近い島ニューカレドニアと言う映画が上映され話題を集めました事をご記憶されているでしょうか?小生が考えるにはこれは新婚旅行の方がたが思われる事であって、小生もどんな島かと訪ねてみましたが小生の年代では2〜3日で天国から地上に引きずり下ろされる思いでした。

そこで前回小生が皆様方にお話した地上の楽園ニュージーランドについてお話いたします。
お話する前に何故小生がこのニュージーランドに10年近くも、住み着いてしまったかについてお話する事にしましょう!

小生は80年から90年代にかけ右肩上がりの経済にも救われ、事業は順調に拡大路線を続けました。朝の7時から翌朝の2時ごろまで毎日汗水流し働き、事業を拡大していきました。しかし、事業は拡大しても体はそれについていきませんでした。3000トンの客船を就航させその勢いで5000トンの海外航路の客船をNKKで造船設計中に突然脳血栓で倒れてしまいました。造船所内の病院に運ばれ初期治療を施される事によって幸運にも後遺症も残らず回復する事が出来ました。

かし、その当時小生は体力の限界と、あまりにもおかしなマネーゲームの経済に行き詰まりを感じておりましたので医師と家族の薦めもあり思い切ってリタイアする事に決めました。その後の生活設計につき家族と話し合いを持ちました。その結果小生が子供の頃から持ちつづけた夢であるヨットで世界を一周する事でした。

小生は客船ロイヤルウィングですでに8隻目の船を設計就航させており横浜では60フィートのヨットと50フィートのモーターボートを所有しておりました。今回リタイアに関して作りたいヨットは100フィートクラスの物でした。

ヨットに関する文献を調べていた所、JTBの海外旅行雑誌に目が止まりました。それによるとニュージーランドと言う国でヨットが良く作られており安くて性能の良いものが作られると言う記事を読み、何のためらいも無くニュージーランドに行く事になりました。しかし小生はニュージーランドについて何の認識も知識も無くオーストラリアの付属の島としか思っておりませんでした。

4日間の旅行日程を組み単身でニュージーランドに乗り込みました。到着ロビーで小生を迎えてくれたのは現地の不動産屋でした。小生は造船会社の人が来るかと思っていたのですがとても以外でした。その理由は1時間もしないうちに分かる事になります。

1990年代初めのニュージーランドは国家財政が破綻し、新政権の下に規制緩和と言われる政策によって建て直しを行っている最中でした。不動産屋にまず案内されたオークランドのダウンタウンはほとんどの建物が売りビルか、貸しビルの看板が立っておりメインストリートは暗く、日本の今にも壊れそうな中古車が大通りを我が物顔で走っておりました。

全ての店舗は午後の5時には閉店し、土日も全て閉店しておりました。しゃれたレストランは無く、小汚い食堂が目に付きました。それも当然のことで日本の日本銀行と同じ、ニュージーランド銀行が倒産している状態ですから国家経済が最悪な事がその事を物語っております。

小生は生来の気短な所もあり、ニュージーランドに来るときに円をニュージーランドドルに交換していたせいもあり、目的である船を造ることが出来ない事に落胆いたしました。その時小生を迎えに来た不動産屋より「今がニュージーランドの不動産の買い時だ」とのアドバイスもあり、その時持参したニュージーランドドルを船から不動産へシフトしました。

4日の滞在期間は短い物であまりニュージーランドをみる事無くニュージーランドを離れました。日本に帰国してからは又、色々な案件が小生を待っており1年間はニュージーランドの事などすっかり忘れておりました。

1992年になると小生の関連会社もバブル崩壊の影響を受け1社2社と閉鎖に追い込まれ、縮小路線を歩む事になりました。小生は医師の強い忠告で「今後ハードな仕事はしない様に」と言う事が頭にあり、思い切って全ての仕事から退く決意を固めました。

かし、東京、横浜に在住していたのでは又、何時現場復帰させられるか分かりませんでした。その時家族の薦めもあり思い切って以前4日間滞在したニュージーランドに家族旅行に出かけました。ニュージーランドに到着後ホテルに滞在し、オークランド市内をゆっくり見学いたしました。オークランドは特別な観光地も無くあっという間に1週間が過ぎてしまいました。その後妻より小生が1年前に購入した不動産が見たいという提案もありレンタカーを借りその物件をみに行く事になりました。
これからが
地上の楽園ニュージーランドの始まりです。

横浜では元町商店街の真中のマンションに住んでいた事もあり、雑踏の中で何年も過ごしてきました。ニュージーランドの我が家は海岸線の崖の上に立つ一軒家でプライベートビーチがついていました。妻と娘の驚嘆振りはすさまじく、今からここに住みたいと始まった物ですからさあ〜大変な事になりました。

まず、車の確保から始まりました。それに続いて家具・電化製品・食器・寝具等日常用品の全ての買出しに走る事になりました。当時は現在のように物が豊富でなく質素な物が多く、買い物には非常に不便でした。しかし、それも無事終わり新しいニュージーランドでの生活が始まりました。

族は日本では味わった事も無い新鮮な日々を楽しく過ごしました。あっという間の3ヶ月間が終りました。小生はその当時は観光ビザでニュージーランドに来ていた為、3ヶ月以上の滞在は不可能です。家族をなだめつつ、又あの雑踏に地に帰ることになった訳です。

帰国してから小生をはじめ家族の頭の中はすでにニュージーランドでした。家族会議の結果ニュージーランドに移住しようと言う事に決定したのはあっという間の事でした!

小生は渋谷のニュージーランド大使館に行き、訳を話し永住権の取得に至りました。当時永住権の取得はそんなに難しくなく小生の場合 商業・投資ビザと言う形で家族全員の永住権が取得できました。

もはや何のためらいもありません。
いざ!ニュージーランドへ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

すが農業国・農産物の安さは日本に比べ三分の一でした。そして日本と違って産地直送のためか全ての食料品がフレッシュでした。日本人に欠かせない食料品も米・味噌はじめすべての物が手に入りました。唯一手に入らないのは松茸と小生の好きなふぐでした。

そんなわけで家族は何不自由なくニュージーランド生活を満喫する事が出来ました。娘は永住権の特権を生かして国立オークランド大学へ入学しました。日本と比べ入学金はほとんど無く学費は日本の十分の一の安さです。今まで日本で生活し体験してきた事がこのニュージーランドで全て考え直す事になるとはまったく考えもしない事でした。

日本で高い物価に慣らされていた家族はニュージーランドの物価の安さに毎日笑いが止まらないようです。当時の銀行金利は9〜12%と高くその事も小生を驚かせた一因でした。

の時小生がニュージーランドの経済学者とミーティングを持つ事が出来、彼の口から意外な言葉が出てきました。それは近い内日本はニュージーランド以下の経済状況に陥るだろうという物でした。その時小生はまさか現在の日本のような情況になる事など思いも付きませんでしたので、日本の経済状況と今後の情況を持論を交え説明いたしました。

今から思えばこの小国ニュージーランドの経済学者は日本の将来を的確に分析していたのでしょうね!ニュージーランドの国土は日本の四分の三、総人口は383万人で日本の総人口の3%しかおりません。国家予算は384億NZ$で日本の一地方都市の財政と同じ規模です。国民総支出(GDE)は日本の1.25%しかありません。

しかし、この国にはホームレスや乞食はおりません。なぜならば日本に比べ年中気候が良く農作物や畜産業はそれによって恵まれた糧を十分に国民に与えているからです。イギリス本土から移住してきたニュージーランド人は本土と違って質素な生活をしていた人々が多く、その事が日本と違った生活環境を生み出していると思います。

かしながら、今日のニュージーランド人は諸外国から持ち込まれた金とそれに伴う贅沢につかろうとしております。その事が一番気がかりな事ですが、経済の発展と言うプラスの要因ももたらしております。

そこで小生が今回のテーマである地上の楽園ニュージーランドについてお話をしたいと思いますが、ニュージーランドに付いて、最近は雑誌やTV等のマスコミによって広く知れ渡っていると思いますので簡単に話すと自然に囲まれた素晴らしい環境の国と言う一言に尽きます。小生は日本に帰りますといろいろな所でセミナーの依頼があり、その中の一節としてニュージーランドを紹介して来ました。

その中で視聴者が一番気にかけて相談に来られるのがニュージーランドでの生活の事でした。小生は年代柄、定年退職を数年後に迎えられる多くの方がたが小生のセミナーに参加してきました。そこで小生が一番力をいれて話してきた事は定年後の資金運用についてでした。

小生は一番力をいれて話した事は資金を減らす事無く10年間の老後をニュージーランドで楽しく過ごして見ませんか?と言うテーマでした。

こに一つの例をお話します。
まず、定年退職後に退職金3000万円がもらえたと考えて下さい。それに今までの預金や住んでいた家を処分して2500万円都合し、合計5500万円手元にあると仮定しお話しましょう。日本円5500万円は現在のNZ$で100万ドルです。

NZの一般的な家屋は600ヘイホーメートルの土地がついた3〜4ベットルームの住宅でNZドル30万ドルで購入できます。70万ドルを現在の定期預金金利6.5%で銀行に預けますと毎年の金利は45500ドルになります。この国の一般サラリーマンの年間所得は2〜3万ドルで、以上のことから金利の45000ドルはニュージーランドにおいては会社の重役クラスの年収と同額で十分に生活がエンジョイ出来る事になります。

定期金利は5年から6年の据え置きにしておけばその間は6.5%で運用できるわけで、年間収入が固定収入として安定して入って来ます。その様な調子で10年間ニュージーランドに滞在して定年後10年経った65歳のときにもう一度人生を見直し、日本で最終の生活を送るかもしくはもう10年ニュージーランドで生活するかを考えたら如何でしょうか?

し、10年後に日本に帰るとした場合、不動産を処分し預金を解約する事になりますが小生が10年間このニュージーランドで暮らし体験し得た結論は、不動産は日本のような値上がりは見込めませんが、5%から10%の売買益は得られそうです!

この国はよいことに不動産売買益は無税です。一番気がかりな事は為替のリスクですが小生がこの国に来たときのNZ$は1$90円でした。為替の事については小生はプロではありませんがこの国の妥当な通貨レートは1ドル60円から65円と考えられますので10年後に日本に持って帰れる日本円を簡単に計算しますと住んでいる家が10%の利益をつけて売れたとして33万ドルそれと定期預金の70万ドルを解約して合計103万ドルになります。
それに当日の為替を65円として計算しますと持ち帰れる日本円は6695万円となります。

10年前に持参した5500万円を差し引きますとこの10年間ニュージーランドで楽しく過ごした上に1195万円のおまけ付きで日本に帰国できます。もちろん為替が逆に動いたらそんなにおまけはつきませんが、日本と違って株や国債で大損すると言う事にはならないと思います。

ちろんこれは一例なので後は自分が定年後にいくら資金が調達できるかによってご自分で計画を立ててください。
そこで一番重要なことはビザの件です。
小生のように永住権を持っていれば問題は無いのですが定年間近い団塊の世代の人達は永住権の申請は非常に難しいと考えられます。そんなときは観光ビザでニュージーランドに入り3ヶ月に一度近所の外国に出国し、再入国するとその都度3ヶ月の滞在が可能になりますのであまり深く考える事もありません。以上のような事から小生が地上の楽園ニュージーランドとお話している意味がおわかりになっていただけると思いますが、如何でしょうか?

はそれぞれ皆様の決断と実行のみです!


             前のコラムへ | 目次 |次のコラムへ